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お念仏を暫用還廃の方便にしてしまった

>人生の目的達成の道程を親鸞聖人がどう仰っているか御存知ないようですね。
>極重の悪人は、ただ仏を称すべし(正信偈)
>この元は、行巻に往生要集を引かれて
>『観経』には「極重の悪人他の方便なし。ただ弥陀を称して極楽に生ずることを得」
>と仰っていますよ。
>他の方便、つまり諸善や第十九願は極重の悪人にはない、ただ念仏1つで往生できる、
>これ以外にあるのですか?
>真面目に勉強されることをおすすめします。



さすが飛雲太郎氏。

「真面目に勉強されることをおすすめします」

教行信証講義を良く読んだほうがよいですね。

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No title

選択集をよく読んだ方が良いですよ。


この三品は、尋常の時ただ悪業を造りて往生を求めずといへども、臨終の時はじめて善知識に遇ひてすなはち往生を得。

No title

下品上生・下品中生・下品下生のものは、平生に仏法も聞かず、善も行わないもののことでありますが、そんなものが臨終に善知識に遇って念仏を勧められただけで往生すると釈尊が説かれたことは、善の勧め、宿善論、三願転入論を否定されていることになるのではないですか。

No title

悪凡夫は善ができないのですから、悪凡夫には往生のために善を勧められていないのです。
それを善導大師のお弟子であった懐感禅師は『群疑論』に

『観経』の下品上生、下品中生、下品下生の三処の経文には、みなただ弥陀仏を念じて浄土に往生すと陳ぶ。

と書かれ、それを源信僧都が『往生要集』で

『観経』に、「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」と。

と言い換えられているのです。それを親鸞聖人はそのまま承け継がれて『高僧和讃』で

極悪深重の衆生は
 他の方便さらになし
 ひとへに弥陀を称してぞ
 浄土にうまるとのべたまふ

と仰っておられます。浄土仏教の基本中の基本です。

ですから、我々は善ができない極重の悪人であると教えるならば、往生のため、獲信のために善を勧めることは理屈に合いません。他力念仏1つを勧めるのが善知識です。
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