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過現三業の善根をめぐらして、極楽に生れんと願ぜよ

三つには回向発願心といふは、名のなかにその義きこえたり。くはしくこ
れをのぶべからず。過現三業の善根をめぐらして、極楽に生れんと願ずるなり。
(唯信鈔)

祖師聖人御真筆の「唯信鈔」。お弟子や門徒の方々に与えられたものです。

「過現三業の善根をめぐらして、極楽に生れんと願ぜよ」と

明らかです。

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回向発願心は二河白道の譬えのことですよ。

「過現三業の善根をめぐらして、極楽に生れんと願ぜよ」(唯信鈔)

は次の言い換え。

「もろもろの行業を回してただちに西方に向かふ」(散善義)

三定死の後、阿弥陀仏の喚び声を聞いて白道を西に向かって進むという「人、道の上を行いて、ただちに西に向かふ」の説明部分ですね。
阿弥陀仏の喚び声を聞いて白道を西に向かって進むのは、18願の道なので、「もろもろの行業を回して」は諸善を翻して、諸善を捨てての意味です。

同じことで、「過現三業の善根をめぐらして、極楽に生れんと願ぜよ」は、過去の善根を翻して、捨てて、極楽を願うことが、回向発願心ということですね。

まさか、「過現三業の善根をめぐらして」を善をしてなんて思っているのですかね。

「めぐらす」は「回転させる。まわす。」の意味。

それにここは他力の信心についての解説だから、自力の話ではないのに、何を言っているのやら。

その証拠はこの直前に

「信心決定しぬれば、三心おのづからそなはる。本願を信ずることまことなれば、虚仮のこころなし。浄土まつこと疑なければ、回向のおもひあり。このゆゑに三心ことなるに似たれども、みな信心にそなはれるなり。」

とあるでしょう。

信心決定してそなわった三心のうちの1つである回向発願心が自力の信心だってさ(笑)

No title

おもしろいね、回向発願心を自力と考えているの?

親鸞聖人がどこに、自力の善根をして、極楽に生れんと願ぜよと仰っているのか示してもらえますか?

No title

結論は、

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
親鸞聖人は19願の対機として、悪人を含められていない。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

これについては、反論無しと言うことで、完全決着です。
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