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慶喜一念相応後

正信偈や御文章の御勤めを

朝晩ちゃんと、みなさんしておられますか?


「慶喜一念」と言われても味が無い、何の事やらわからないのでは

報恩行にはなりません。

極重悪人を助けるという御本願なのですから

自分が極重悪人だと照らされてなければ「相応」してないのです。

本願に疑いがあるから喜びがないのです。

一念慶喜したと同時に三品の懺悔と等しい懺悔をさせられます。


大慶喜する私と、喜ぶ心の無い私が同時にある。

三品の懺悔と等しい懺悔をする私と、無懺無愧の私が同時にある。


「相応」とはそういう身になったことです。
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