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よくここまででたらめがいえるなあ、と。

飛雲は反面教師にするには話題に事欠かないブログですね。

代理人らしき人が当ブログのコメント欄を荒らしているのも

何かの縁ですから、当分、おもちゃにさせてもらいます。






以下は、「善導大師にとって定善をすることは容易」と仰ったという根拠だそうですが。


ただ万事ともに捨てて、なほ失意・聾盲・
痴人のごとくなれば、この定かならずすなはち得やすし。(観経疏)

>実際、「この定かならずすなはち得やすし」(観無量寿経疏)と、
善導大師にとって定善をすることは容易だ、と仰っています。

「ただ万事ともに捨てて」
「なほ失意・聾盲・痴人のごとくなれば」と
定善をする方法を言われているだけで
「善導大師にとって定善をすることは容易」などとは
どこにも仰っていませんが。

「もしかくのごとくならざれば、三業縁に随ひて転じ、定想波を逐ひて飛ぶ。
たとひ千年の寿を尽せども、法眼いまだかつて開けず。」と続けておられる通りです。


これは化土巻に引用されています。



しかるに常没の凡愚、定心修しがたし、息慮凝心のゆゑに。
散心行じがたし、廃悪修善のゆゑに。ここをもつて立相住心なほ成じがたきがゆゑに、
「たとひ千年の寿を尽すとも、法眼いまだかつて開けず」といへり。
いかにいはんや無相離念まことに獲がたし。ゆゑに、
「如来はるかに末代罪濁の凡夫を知ろしめして、相を立て心を住すとも、
なほ得ることあたはじと。いかにいはんや、相を離れて事を求めば、
術通なき人の空に居て舎を立てんがごときなり」といへり。 (化土巻)


飛雲氏の代理人は日本語が読めないようです。


>ですが、「定心修しがたし」「散心行じがたし」「立相住心なほ成じがたき」
>「無相離念まことに獲がたし」と「かたし」としか書かれていない。「不可なり」となっていない。


「「かたし」としか書かれていない。」とがんばっているが

「得ることあたはじ」=「不能」と書かれているのが見えないらしい。

「不能」とは「不可能」と同意です。

日本語の辞書も持ってないらしいですから仕方ないですね。


>『「如来はるかに末代罪濁の凡夫を知ろしめして、
>  相を立て心を住すとも、なほ得ることあたはじ』と書いてあっても
>   可能性はゼロではない」
>これについては何度も言ってきましたよ。可能性はゼロではないとね。


「不能」とあっても「可能性はゼロではない」と

ちゃんと書いているが




>「不可」=「可能」って誰か言いましたか?
>違うでしょ、
>「かたし」≠「不可」でしょ。
>嘘を言うとは仏法者ですか?
>「不可」=「可能」というコメントを示してください。


しまいにこんなにして開き直り。

どうしようもないね。(違う人かな?)


こんなウソも書いてるね。

コメント拒否設定してない証拠に

ずーっと、書き続けてるじゃないの。名前変えて。


>飛雲様
>予想通り、「正しい真宗教義の伝承のために」のコメントが拒否設定されました。
>新たなコメントが今後書き込めなくなりましたので、御報告致します。
>本当に口先だけで、矛盾噴出の偽装退会者ですわ。
>親鸞会講師部員の腰ぬけが、また露呈しました。
>投稿: 根拠捏造 | 2012年8月20日 (月) 19時58分


管理人は偽装退会者だそうですが

「七祖聖教読んだら除名になる」んじゃなかったの?

真宗叢書、香月院全集やら、教行信証講義を十数種類持ってる会員て誰?(笑)



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コメントの投稿

非公開コメント

No title

過去の事は忘れることにしているようだね。

コメントをしっかりと読んでいるようなので、前回の


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

・真実の経の大経には、三輩が説かれている。

・真実の経の大経には、衆生は闡提の一機と説かれていない。

・涅槃経には、上根・中根・下根と分けられていると親鸞聖人が教えられている。

・存覚上人は、上根・下根と分けられたり、善人・悪人と明確に分けられている。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■



については認めたわけだ。

No title

過去からの惨敗の記録の中で関連する部分を抽出



4.管理人さんの考えでは、雑毒の善は悪ではなく、善導大師の仰る「仏法・世俗の二種の善根」に入るので、雑毒の善ができる人は、「仏法・世俗の二種の善根あることなし」の下輩ではない。つまり、雑毒の善ができる人は、中輩か上輩である。


5.親鸞聖人は常没の凡愚でも雑毒の善のできることを認めておられるので、常没の凡愚にも「仏法・世俗の二種の善根」のある人が少なからず存在する。つまり、常没の凡愚には定散二善をすることは「かたし」難しいということであって、「不可」可能性ゼロではない。


12.結局、「常没の凡夫には善ができない」と管理人さんは喚いていますが、親鸞聖人は「定散諸機」と「逆悪の機」を明確に区別されて、結局、「常没の凡夫には善ができる者とできない者がある」としか仰ってない。しかも善のできる凡夫である定散諸機に対して定散二善を勧められている、と親鸞聖人が仰ったことで、決着。


17.「定散と逆悪とを矜哀して」(正信偈)、「されば定散の機をも五逆の機をも、もらさずあはれみたまひけりといふこころなり」(正信偈大意)と、明白に「定散諸機」と「逆悪の機」もしくは「五逆の機」が別と教えられている。「定散諸機」と「極重悪人」が同じと仰った根拠は皆無で決着。


23.「しかるに常没の凡愚、定心修しがたし、息慮凝心のゆゑに。散心行じがたし、廃悪修善のゆゑに。ここをもつて立相住心なほ成じがたきがゆゑに、「たとひ千年の寿を尽すとも、法眼いまだかつて開けず」といへり。いかにいはんや無相離念まことに獲がたし。ゆゑに、「如来はるかに末代罪濁の凡夫を知ろしめして、相を立て心を住すとも、なほ得ることあたはじと。いかにいはんや、相を離れて事を求めば、術通なき人の空に居て舎を立てんがごときなり」といへり。」(化土巻)
この御文は、 「末代罪濁の凡夫」が下品生のことを指しているから、
常没の凡愚凡夫(善悪の凡夫)には、定善散善をすることは難しい(が不可能ではない)。悪凡夫には定善をすることは不可能である。
ということで、管理人さん「親鸞聖人は凡夫には定散二善をすることは不可能と教えられた」の主張は完全に否定された。


27.善導大師が仰り、親鸞聖人も引用されている『往生礼讃』の機の深信では、「善根薄少」 であり、下輩(悪人)の定義である「善根あることなし」とは明らかに違うので、機の深信に悪人の意味はない、で決着。

No title

では解説してあげよう。


しかるに常没の凡愚、定心修しがたし、息慮凝心のゆゑに。
散心行じがたし、廃悪修善のゆゑに。ここをもつて立相住心なほ成じがたきがゆゑに、
「たとひ千年の寿を尽すとも、法眼いまだかつて開けず」といへり。
いかにいはんや無相離念まことに獲がたし。ゆゑに、
「如来はるかに末代罪濁の凡夫を知ろしめして、相を立て心を住すとも、
なほ得ることあたはじと。いかにいはんや、相を離れて事を求めば、
術通なき人の空に居て舎を立てんがごときなり」といへり。 (化土巻)



常没の凡愚は、定善をすることは難しい。散善をすることも難しい。
それは善導大師が「たとひ千年の寿を尽すとも、法眼いまだかつて開けず」と仰っている通りである。
ましてや無相離念はまことに難しい。
「如来はるかに末代罪濁の凡夫(下品生)を知ろしめして、
相を立て心を住すとも、なほ得ることあたはじと。
いかにいはんや、相を離れて事を求めば、
術通なき人の空に居て舎を立てんがごときなり」
と言われている通りである。



ここで問題は「得ることあたはじ」の主語が「末代罪濁」であること。

「罪濁」とは、もともと浄土論註に出てくる言葉である。


問ひていはく、上に、生は無生なりと知るといふは、まさにこれ上品生のものなるべし。もし下下品の人の、十念に乗じて往生するは、あに実の生を取るにあらずや。ただ実の生を取らば、すなはち二執に堕しなん。一には、 おそらくは往生を得ざらん。二には、おそらくはさらに生ずとも惑ひを生ぜん。
答ふ。たとへば浄摩尼珠を、これを濁水に置けば、水すなはち清浄なるがごとし。もし人、無量生死の罪濁にありといへども、かの阿弥陀如来の至極無生清浄の宝珠の名号を聞きて、これを濁心に投ぐれば、念々のうちに罪滅して心浄まり、すなはち往生を得。


これを安楽集にも引用されている。


上品生に対して、下品生の話をされる中で、「無量生死の罪濁」と出てくるので、「無量生死の罪濁」は下品生のことを指している。

これを定善義でも使われ、親鸞聖人も使われている。もちろん同じ意味でね。



国語力に大問題があるだろうから、化土巻の御言葉の意味を簡単に言うと、


定善散善は、常没の凡愚(善凡夫と悪凡夫)にはすることは難しい(が、不可能ではない)。
善導大師は下品生の悪凡夫には、定善も散善も不可能だと仰っているから。



こうなる。


ニホンゴワカリマスカ?

No title

書き込みできないキーワードが、過去の惨敗の記録の中にあるから、それを出されるのを恐れているようだ。


二つ前のコメントで全部挙げなかったのは、省略した項目の中に、禁止キーワードを設定しているためだな。

たとえば、「たかもり」の漢字もそうかな?


相変わらず卑怯だね。

No title

ぐっとレベルを下げて解説してあげようね。


善導大師は、下品生、悪凡夫の定義を「仏法・世俗の二種の善根有ること無し」とされたのは、何度も教えてあげた通り。

そこで、雑毒の善は「善」だと誰もが認めるし、管理人さんも認めた。


しかも常没の凡愚にも雑毒の善ができると断言しているのが、たかもり会長であり、管理人さん。


よって、常没の凡愚の中に少なからず、雑毒の善ができる下品生ではないものが含まれていることになる。


もちろん、雑毒の善とは、仏法・世俗の二種の善根のことであり、定散二善のこと。



どこか違うところがあるなら、そこを指摘してみよ。

No title

あと愚かな言い訳をしているけど、

「七祖聖教読んだら除名になる」

って、W部さんも読んでいるよね。弘宣局、教学部も読んでいるでしょ。

任務上認められているところも有るんだよ。



しんらん会の思考は、0か100.

違うんだよね、仏教は。



しんらん会も漢字で書くと、禁止キーワードだって。汚いね。

「一切衆生=一闡提」の論拠を示しなさい

管理人さん、話題を変えないでください。

○「一切衆生=一闡提」の論拠を『大経』の御文でもって示しなさい

なにとぞお答え願います。
無視されますと、管理人さんのご主張は根拠のない妄想である、ということになってしまいますので……。

----------

「一切の善人は信心獲得できない」
http://ikiruimiwositte.blog83.fc2.com/blog-entry-183.html

より、

>ブログの主旨に反する、教義とは関係ない言葉のいくつかは禁止ワードに設定させていただきました。悪しからずご了承ください。

つまり、たかもり顕徹氏及び浄土真宗親鸞かいは「正しい真宗教義の伝承のために」ならない人物・団体ということですね。これはその通りだと思います。進んでかかわるべきではありません。
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