仏教の基礎

このブログは、インターネット上で、でたらめな真宗教義が平気で語られているのを

見ておれず、立ち上げたものです。

ほとんどはアンチS会関係のものでしたが、反論できなくなったせいか

最近は大した論難もなく、コピペ攻撃などのいやがらせもなくなりました。

検索をかけるとあいかわらずその関係のブログは出てきますが

大きな論点はなく、けんかに負けた子供がぐずっている感じです。

これ以降は、僧侶を含め一般の人のために仏教の基礎から少しづつお話しましょう。


葬儀で、僧侶が説教しても、何を言っているかわからない、

話している僧侶も自信なさげに10分程度話してそそくさと帰っていくのは

僧侶自身が教えをわかっていない、わかってない人の話を聞いている人は

わからないのは当然です。

一時は、年間3万人の人が自殺していたのが、2万人台になって

「自殺する人が少なくなった」という感覚は悲しいことです。

「人生は苦なり」は今も昔も変わらない。

その苦しみの元を断ち切って、

「人間に生まれてきてよかった」という喜びの身に

なれるというのが本当の仏教。

仏縁にふれる一助になればうれしいかぎりです。











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五帖十七通由来 後生の一大事

継子の姉弟を餓死に追いやった女が、その子達の亡霊に悩まされ

町へ来た一人の旅の僧に、後生の助かる法を教えてくださいと懇願した。

その僧のいわく

僧「お前の悪行はすでに聞き及んでいる。もはや来世の助かる道はない」

女「お教えいただけるなら、衣類家財はもちろんのこと、田畑も残らず

 お布施として差し上げます。なにとぞ御慈悲を以てお助けください」

僧「後生の一大事に気がついたのはよいが、金銀財宝によって救われるものではない。

  拙僧は一生戒を保って苦行してきたが、いまだ後生の救われるところまでは

  いっていない。来世に、もう少しよい所に生まれ変わって、その時覚りを

  得るしかないと思っている。

ましてや、お前のような極悪人を助けるなど思いもよらぬ。

お前としても、子供たちが死んだ時、すぐ悔恨の情に

さいなまれるならまだしも、七年も経ってからではもはや

どうにもならぬ。とても地獄の責めは逃れられぬ。

かわいそうだが、せいぜいこの世で楽をして、長生きするよう

心がけよ」

その後、女が真宗の同行に導かれて、蓮如上人にお会いし

教えを受けて救われた。

そのとき話されたことを書き記されたお文だと「御文章来意鈔」に

あります。(大谷暢順氏 御文読本から)












ある人と知識の会話4

(つづき)

「『真剣に聞け』というのは助かる条件ではないんですか?」
「『条件』と自分で思うのが自力じゃ」

「....」
「殺生のかぎりを尽くしていながら、懺悔もないお前の後生は
必ず無間地獄に堕ちる。そんなものが条件を満たせると思っているのが
うぬぼれじゃ。
口では『今晩死んだら』というが、ちょっともそんなこと思ってないじゃろ。
無常も罪悪も、少しも感じない闡提なんじゃよ。
お釈迦さまは「断善根、信不具足」と言われて『絶対助からん』と言われている。
諸仏が百重、千重に取り囲んでも闡提だけは助けられないと逃げたんじゃ。
これだけ言っても、後生に驚かんのは無宿善じゃよ」

「私が無宿善....」
「何年私の話を聞いて来たんじゃ。
『無宿善力及ばず』じゃ。今日は帰りなさい」


「私の後生はどうなるんですか?」
「(無言)」


ある人と知識の会話3

(つづき)

「本願をよく知ったことが領解ではないのですか?」
「『知った、わかった』はピンからキリまである。
信心決定してからも『よく知れば』味わいは深くなるし
知ったこと自体が信心ではないよ」

「お聖教をよく拝読しているのに学者が信心決定しないのも
『知る』ことと『領解』は違うからですね」
「観念の遊戯をしていては後生の解決はできないぞ。
先哲も『苦労して聞け』と言われているじゃろう」


「お聖教や解説書を読むだけではダメなんですか?
「自分の嫌な所や意味のわからない所は飛ばして読んでるじゃろ?
正信偈や御文を朝晩、拝読しても獲信できないのが証拠じゃ」

「正信偈や御文で獲信できるんですか?」
「バカモン。説法は皆、正信偈と御文の中身じゃ。
朝晩のお勤めをボーとして、しているから
説法もボーとして聞くことになるんじゃよ」

「聴聞しに来るにも、毎月京都まで来るにはお金がかかります」
「今日、信心決定して帰れば毎月来る必要はない。
地元でお伝えしなさい。
お金かけて苦労してきたのに真剣に聞けずに
獲信できなかったら、そんなわが身を懺悔しなさい。
『今晩死ぬかも』ってさっき言っていたじゃろ。」


「聴聞とお勤めですね」
「それ以外の時間も無駄に過ごしてはならん。
小さな善根も逃さず、機会を見つけて功徳を積みなさい」


「『聴聞に極まる』なんだから、聴聞だけでいいんじゃないんですか?」
「居眠り半分では『聴聞に極まる』にならん。
御法話終わったら、宿泊所でテレビ見てくつろぎたい、なんて思ってるのは
『聴聞に極まる』ではないだろ。
『どうしたら真剣に聞けるのか』いつも心にかけておかねばならん」

ある人と知識の会話2

(つづき)
「今晩死ぬかもしれませんから帰れません」
「ちっともそんなこと思ってないじゃろ」

「そうですね...」
「宿善まかせじゃからな。よく聞きなさい」

「阿弥陀仏の本願はよくわかっているつもりですけど」
「後生の一大事が抜けているからじゃよ」

「本願を聞けばいいんじゃないんですか?」
「『私の後生の一大事』を救ってくださるのが弥陀の本願なのに
自分の一大事が抜けていたら話にならんじゃろ?」

「『後生の一大事』と言われても『なんとなくこわいなあ』程度です」
「無常と罪悪のわが身をよく聞くんじゃよ」

「本願を聞くんじゃないんですか?」
「『五逆と正法を誹謗するとをば除く』とあるじゃろ?」

「『抑止門』ですから、五逆や謗法も結局助かるんですよね?」
「『抑止』はもちろんだが、本願は真実じゃから『唯除』は『唯除』じゃよ」

「じゃあ『十方衆生を助ける』というのは....」
「まことじゃよ、弥陀の本願まことじゃから」

「不可称不可説不可思議ですね」
「言葉でいえばそういうことだが
自分の領解が伴わねばただの耳学問じゃ」
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Author:ikiruimiwositte
浄土真宗の伝統教学を勉強しましょう。
御本典は何度も拝読しましょう。

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